アートマガジン『InfoMart』

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インタビュー

金子三勇士[ピアノ]
ショパンとリストを徹底解説
【2024年2月25日公演】

ピアノの魔術師リストから見たピアノの詩人ショパン
ーー 傑作の数々と波乱に満ちた生涯を深堀り

金子三勇士[ピアノ]
ピアノの魔術師リストから見たピアノの詩人ショパン

金子三勇士[ピアノ]さんイメージ

ピアノ音楽の黄金時代を
築いたショパンとリスト

1810年にポーランドのワルシャワ近郊に生まれたショパン。1811年にハンガリー王国のライディングに生まれたリスト。共にロマン派時代のピアノ音楽に大きな足跡を残しましたが、二人のパーソナリティには大きな違いがあるのでは、と思っています。
体格も比較的小さく(手も小さい)病気がちで、人前が苦手などシャイな性格だったショパンに対して、リストは体格もよく、手指も大きく健康的でした。当然こうした違いは音楽にも現れていて、親しい人たちが集う小さなサロンを好み、繊細な響きのプレイエルの楽器をよく弾いたショパンに対し、リストはヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしてヨーロッパ中のホールで演奏し、響きがより重厚なエラールのピアノを好んで演奏しました。リストの技巧的でダイナミックな音楽に対して、ショパンの抒情的でカンタービレな音楽ということもできるかも知れませんが、そこはそれほど単純ではなくて、ショパンの「革命のエチュード」や「英雄ポロネーズ」、またリストに献呈された「練習曲集」などは、明らかにリストの演奏技巧や音楽性を意識して作曲されたと思います。

上流階級の女性たちを
虜にした究極のイケメン

1830年代のパリのサロンで交友を深めたショパンとリストですが、共通するのは上流階級の人々、特に女性たちから絶大な人気を集めたという点です。ショパンは、ワルシャワの青年時代の初恋を経て、ポーランド貴族の令嬢マリアと婚約をしますが、この恋は残念ながら実りませんでした。その後、リストの恋人であったマリー・ダグー伯爵夫人のサロンで、長く連れ添うことになる女流作家ジョルジュ・サンドに出会います。
一方のリストは、ショパンをも凌ぐ想像を絶するモテっぷりだったようです。スタイルがよくハンサムで社交的。芸術に関して教養が深い上に、当代随一のピアノ名手と、絵にかいたようなイケメンだったのだと思います。ショパン自身もリストについて「あらゆる人を魅了してしまう人物」と評しています。
でも、本当はショパンもリストも、本当に自分のことを理解してくれる、人生における対等なパートナーには出会わなかったのではないか、というのが私の想像です。2月のコンサートでは、この辺りのお話しも少しできたらと思っています

リストの素晴らしい
人間力とショパンへの憧れ

リストはピアニストとして「ソロ・リサイタルの確立」「コンサートツアーの確立」「暗譜での演奏」など計り知れない功績を残し頂点を極めたあと、徐々に作曲や指揮活動に情熱を注ぐようになります。深く宗教的な思想に傾倒したり、さらに現在の音楽大学につながるような音楽教育にも情熱を注ぎます。ピアニストとして当たり前のレールを進むのではなく、つねに新しい物事に挑戦する姿勢は尊敬に値しますし、その偉大な人間力=芸術家としての魅力は語り始めるとキリはないのですが
リストがこうした新しい挑戦に踏み出したのは、1849年に友人でありライバルであったショパンがわずか39歳で亡くなってしまったことも、1つのきっかけになっていると思います。リストは1851年に、ショパンの音楽と人生についての伝記を執筆しますが、ここには若くして亡くなったショパンの天才性・創造性を高く評価し惜しみつつ、自らの音楽人生も見つめ直していたのではないかと想像します。
リストは晩年、多くの弟子たちに無償でレッスンを行い優れた音楽家を数多く育てましたが、こうした教えを通じて、リスト自身の優れた人間力と霊感に満ちたショパンの魂が後世に受け継がれていったのだと思います。
2月、ミューズのコンサートを通じて、みなさんと2人の音楽家の奥深い魅力、そしてピアノ音楽の魅力を共有できたら嬉しいです。

【2024年2月25日公演】

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